協力

協力も重要なことである。これに、複数の理由がある。

一番直接的な理由は、多くの発見と創造は、一人で到底できない大きな計画である事実である。例えば、一人で大聖堂を構築することは無理だし、映画を一人で作成するのも難しい。発見も同じだ。粒子物理学では、一つの発見には数千人が貢献すると言われる。数千人に上らなくても、研究論文には4人以上の作者が記載されるのは普通だ。つまり、協力しないと、できない創造と発見は多いので、成果を重視すれば、協力も重視するのは当たり前である。また、人数の問題だけではない。発見や創造には、様々な知識や技能が必要となるが、一人の人間がすべてを身につけるのは難しい。目的が大きくなればなるほど、難しい。能力を合わせるために協力は必要である。

その延長線上、もう一つの重要性がある。大きな発見や創造を指揮するために、かなりの才能を持たなければならない。ほとんどの人はそのような才能を持っていないので、自力で創造や発見とは無縁になると思われるだろう。しかし、協力があれば、必ずしもそうとは限らない。指揮する才能がある人でも、一人で実現できないと既に述べたが、協力者は求められる。それで、指揮できない人は重要な貢献を捧げることはできる。その協力者はいないと、発見や創造は成立しないので、映画の最後の大勢の人の名前が出てくるのは相応しいというしかない。もちろん、監督と俳優が脚光を浴びるが、協働した人の皆を讃えるのは適切な態度である。社会は、光栄を差別的に与えるのかもしれないが、倫理的に自分なりに貢献するのは良い。社会の態度の改善について、別な問題として後ほど論じても良い。

では、協力は成果をあげるために必要だし、才能は優れていない人の発見と創造との関わりを可能とする役割もある。この二つだけでも、重要なことになる。しかし、これだけではない。もう一つの重要な役割がある。

協力しないと、お互いに妨げになることは少なくない。例えば、発見で、同じことを発見しようとしたら、協力しないと最善の場合でも片方の努力が無駄になる。(他方は発見するからだ。)お互いに邪魔になることも多い。例えば、同じ遺跡を調査しようとすれば、同時にできないので、相手の許可や調査の妨げに力を注ぐこともある。創造にはこのような競争はないだろうが、同じ場に出すつもりであれば、一緒に出せるように話し合わないといけない。つまり、周りの人を無視して、自分の作成にしか集中すれば、結局成果が劣化すると思われる。

つまり、成果をあげるために、協力は重要である。一緒に働けば、良いことが期待できる。


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