4月25日付の『神社新報』には、私が書いた投稿が載っている。その投稿は、外国人向けの地図で、「神社」をどういう風に表記すれば良いかという問題を取り上げるが、最後に体系的に神道を紹介する必要があると述べたが、『神社新報』への投稿はこのブログの投稿より短いので、詳しいことは何も書いていない。それはもちろん好ましくない。どうすれば良いかは、考えるのは当然だ。だから、自分のブログでこの問題について考えたいと思う。
まずは、ほとんどの外国人の観光客は神道の存在さえ知らないと思う。仏教を聞いたことがあるだろうが、神道はそうではない。聞いたことがあるとしても、超国家主義や軍国主義のイメージは強い場合は多いだろう。もちろん、例外はあるが、普通にゼロから始まっていると思った方が良い。ゼロから始まれば、どうすれば良いのか。
キリスト教などの場合、最初は宗教の基本教義を紹介するのは当然であるが、神道にはそのようなことはない。神道は、信奉するより実践する宗教だと言えよう。だからこそ、宗教ではなく日本の文化の基礎であると言われることもある。私は、宗教として考えたほうが良いと思うが、キリスト教などの宗教から大きく異なるので、その考え方にも問題はなくはない。だから、それを出発点としないほうが良い。外国人の観光客に神道を紹介するために、神道を見せるのが良いと私は思う。
「神道を見せる」の第一歩は、神社の境内に入ってもらうことだろう。ここで思い浮かぶ神社、赤坂日枝神社や平安神宮の有名な観光地に鎮座する大きな神社である。神宮は素晴らしいし、観光客に是非訪れて欲しいが、わざと見に行かない限り、そういうことはない。諏訪大社などはまさにその通りだ。そのため、まずこのようにふと訪れてもらえる神社の対策を考える。
まずは、地図で「〇〇 Shrine」と書いて、宗教的な施設であることを示唆する。そして、神社に着いたら、外国語の案内板があると良い。神社は、観光客にとって全くわからない施設であるので、常識は一切ないと思った方が良い。一方、禁止する看板をたくさん置いたら、嫌な気持ちをさせてしまう。それより、肯定的に「こうしてください」という看板を置いた方が良い。
例えば、神社の入り口で「〇〇神社へようこそ。参道は、左側通行としてください。」鳥居の横で「ここで神聖な区域に入る。一時停止して、浅くお辞儀してください。」参道は手水舎に続くので、そこで「ここで手と口を清めてください」と書いて、少し詳しい指導の看板を置けば良い。(日本人向けの看板と同じ内容で良い。)拝殿の前で、お参りの説明をする看板があったら良いし、拝殿に入って参拝したい場合、授与所で声をかけてくださいの旨を伝えたら良い。そして、外国語のしおりを用意して、社頭や授与所で配布したら良い。もちろん、こうすると、一々案内板があるので、ちょっとうるさく見えるだろう。だからこそ、普通の観光客が参拝すると思い難い神社には、置かない方が良いと思われる。一方、明治神宮などの観光客は多い神社であれば、この案内で外国人の初宮参り(と言ったら良いかな)を気持ち良くできるようにさせるのではないかと思う。
ところで、「外国語」と言っているが、英語だけではない。英語を表示するのは良いが、中国語と韓国語もあったら良いと思われる。だからこそ、案内の文章を短くして、最低限の必要な情報を伝えた方が良いのである。
では、大人の初宮参りが終わったら、神道にちょっと興味を持つようになった人にどう対応できるのか。それは次回考えたいと思う。