神学というのは、神を学ぶことである。キリスト教では、神様の性質について論じることだが、聖書で書かれたことを基盤として神様の性質を論じた。それで矛盾が浮上して、これを宗教の謎と名付けて、そのままにした。神学が知識に至ったかどうかはまさに不明であろう。
しかし、神道の状況はさらに難しい。聖書のような教典はまずない。古事記と日本書紀はあるが、話は違うし、日本書紀の中でも「一書」のところで全くべつな話が書かれている。その内容には神学の立場から考えれば問題がある。顕著なのは、天岩戸の神話で、天宇受売神が神がかりになると書いてあるが、かかってくる神はどの神なのだろうか。天照大神は岩戸の中にこもっているし、他の神は集まって、踊りを見ている。神が神がかりになる概念はそもそもどういうことかと思わせる神話である。
後世の神話もあるが、例えば鎌倉時代の『倭姫命世紀』を含む伊勢神道の五部書があるし、両部神道や山王神道も著書を発生したし、吉田神道の教書もあるし、垂加神道もあるが、これを信頼できるかどうかは問題となる。仏家神道には仏教の影響は強いので、国学以来それは好まれていない、そして、垂加神道には儒教の影響は強い。吉田神道では、吉田兼俱が偽造した書類は重要だったので、基盤とする資格を持っていないだろう。
では、本居宣長の神の定義はどうだろう。詰まる所にすれば、威厳あるものすべては神と言われるとの内容だが、それは役に立たない。富士山自体は神になるが、浅間神社のご祭神は登れる山の富士山であるか、見に見えない精霊のような存在であるか、木花佐久夜毘売であるかは、論争になりかねない。『神社新報』の記事でも、出羽三山の神社の末社の神は池そのものか、精霊かという疑問は神社の宮司によって掲げられた。つまり、宣長の定義は神道での「神」という言葉の使い方について妥当であるが、神の存在の性質に迫るに当たって、役に立たない。
実は、よく考えたら、文献には根本的な問題がある。その文献の著者が「神はこうだ」と書いたことは認める。しかし、著者はどうやってそのことを知っていたかは、不明である。言い伝えだと言っても、その言い伝えを始めた人は、どうやって知ったのだろう。これで、神社の歴史についての言い伝えとの相違点が明らかになる。神社の歴史的な言い伝えを始めた人は、出来事に立ち会った。肉眼で見て、その思い出を子孫に伝えたと思える。伝説になって変わってきた内容もあるのだろうが、そもそも知っていた事実には問題はない。神についての言い伝えはそうではない。現在の人は知ることはできないと思ったら、昔の人も同じく知ることはできないのではないか。
要するに、文献から過去の人がどうやって神について考えたのかは知ることはできるが、それは神はどうなのかと別な質問である。だから、神学の根本的な問題は、何が根拠になるかということである。