お祓いの意味の一部は、元に戻ることだと言われる。お祓いを受けたら、本来の姿に戻るとも言われている。これも重要な役割としたいのだ。
何かの目的があれば、実現に向けて動く。ただし、多くの場合、直接に実現できない。例えば、幸せな家族の構築のために、まず相手を見つけなければならない。そして、家庭で暮らしたら、生活費のための収入も必要になるので、仕事もある。一緒の活動も重要だから、趣味なども共有することも多い。その結果、急に苦しい人生になっていることに気づいて、家族の状態は幸せではない事実を否めなくなる。このような状態は、目的のためにしていることがためになっていない結果であろう。最初は、この手法を選ぶのは間違いではなかったとしても、時間が経ったら、手法の絡み合いなどから問題が発生することは少なくないだろう。
しかし、その手法をすぐに止めることはできない。同じ目的はまだ持っているので、その目的のための手法を捨てるわけにはいかないように感じるのは当然だろう。その上、すべての手法を一気に捨てれば、確かに目的が遠くなってしまう。だからこそ、日常生活の中でこのような問題を解決するのは困難である場合は少なくない。
これでお祓いを使って、その解決の取り組みを可能とできるのではないか。お祓いで、今まで手法として集めた行動や約束を落として、元々の目的しか残す。そして、また一からその適切な手法を探す。儀式を中心とすれば、ただのストレス発散で投げ捨てることにはならないし、考えてから再建するので、さらなる問題を避ける可能性がある。確かに完璧な方法は存在しないので、今の問題の解決と取り組んで、さらに深刻な問題を起こすことはあり得る。それでも、今の問題と取り組まなければ、その問題が発展して、さらに深刻になることは少なくない。慎重に考えて、元々の目的を見つめながら決めたら、リスクを抑えることはできるのではないか。
この役割は、もう不要な束縛のお祓いに似ているが、相違点もある。主に、このようなケースで、束縛自体には問題を感じないこともある。手法を一つ一つ考えれば、特に問題はないと言えることはある。実は、そのようなケースは一番難しい。目的はまだ目指すし、すべての手法は、その手法だけを考えれば、目的の達成を支えている。しかし、すべてを一括で考えれば、目的に達成することはできない状態になっている。その場合、一つの束縛を解くではなく、元に戻って、計画を考え直す。もちろん、束縛を解くことは解決の一部になるが、その決め方は全体像に基づくのは大きな違いである。
つまり、神事ではお祓いは大きな役割を担うが、一般人生でも、この三つの役割を担わせたいと思う。