正直の本質

正直というのは、何を表すのだろう。嘘をつかないことはもちろんだが、前回に触れたように、それほど単純なことではない。まずは、正直には二つの側面があると思う。一つは内面的、もう一つは外面的で、内面的な側面は基本となるとも考えている。

内面的な正直は自分に対する正直である。自分に嘘をつくことは多いのは周知の通りだが、これは内面的な正直の一部に過ぎない。内面的な正直は、自分の本質を理解して、認めることである。

正しい理解はないと、まだ正直に至っていない。その原因は自分への嘘だの、ただの理解不足だの、自分についての不明な点があれば、まだ正直はしていない。つまり、この正直は、ただ決めてできることではないのだ。努力や技能も必要となる。

認めるというのは、素直に自分の本質を受け入れることを指す。別な本質は良いと考えても、実際に持っている本質を認める。正しく、直接に自分と接する。

しかし、正直はありのままの自分を高く評価することと同じであるとは限らない。自分の本質を正しく理解して、素直に認めて、それを改善したいと思うこともある。改善する目的も重要であると言える。それでも、正しい理解から出発しないと、改善が迷宮入りする。

自分の理解は、能力などはもちろんのことだが、それだけではない。性格もその一部である。優しいか残酷か、勇気か臆病かなどのこともわかるべきである。もちろん、残酷であることに気づけば、それは改善の対象となるだろうが、気付かない限り改善に努めるはずはない。改善の必要性さえ分からなければ、改善の方法を把握するはずはもない。一方、「改善」には様々な意味がある。例えば、短気であれば、もちろん辛抱を育むように努めるが、それには限度があるので、辛抱が必要となる状況を避けるのは良い。例えば、小学校の先生にならないほうが良い。一方、配達員になっても特に問題にならないだろう。接客の時間は短いし、それほどの辛抱を身につけられるのではないか。今の自分に合う人生を選ぶために、この理解は必要だ。

もう一つの要素は、自分の動機を正しく把握することだ。欧米で典型的な例は、医師になる理由は実は父親の承認を得るためであることだ。そうであれば、より直接に父親との関係の改善に努めるか、その影響から脱出したほうが良い。医師になる動機にはなるとしても、医師として働き続ける動機にはならないだろう。動機を間違えたら、成功してもがっかりすることは少なくない。なぜなら、大義名分とした目的に達成したのに、本当の目的からまだ程遠いからである。

つまり、正直の内面的な本質は、自分の現状を正しく把握して、素直に受け入れて、それに基づいてこれからの人生を企てることだ。

この考えは、古代ギリシアでも有名だった。「汝自身を知れ」という戒めである。デルポイのアポロン神殿の入り口に書かれたと言われるが、神社の鳥居にも記載しても適切なのではないだろうか。

この内面的な正直は基本であるとしても、全てではない。次回、もう一つの側面を論じる。


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