産霊

浄明正直以外の神道的な生き方についての概念を考えれば、すぐに思い浮かぶのは「産霊」である。産霊は、高皇産霊神と神産霊神の神名に現れるが、その意味は創造する力、成長する力、発展する力であると言われる。世界の初めから存在を生み出した力で、世の中で展開するもの原動力にもなっている。宮中の八神殿で「産霊」の神は五柱だったことから、古代神道にはかなり重要な概念であったことは明らかである。私にとっても重要な概念であるので、惟神道の中枢的な役割を与えたいのだ。

産霊は、何かを創造したり、成長させたり、発展させたりする行動を指す。惟神道を歩めば、このような行動は人生の重要な一部である。

もう少し具体的に説明しよう。創造することは、例えば小説を著したり、絵画を描いたり、家を建てたりする行動を思わせるだろう。確かにそのような行動は創造の例であるし、産霊の概念で高く評価される。しかし、産霊の全体像ではない。多くの人は、そのようなことはできないだろう。産霊の概念は、誰にも開かれた道である。

例えば、平凡であるが大きな例を掲げたら、子供を育てることは産霊の良い例となる。生命力との関係も密接であるし、重要なことである。子育ては惟神道で評価されたいる理由の一つはこれだ。それほど重要ではない例を挙げたら、庭を育てたり、ペットを育てたりする行動も産霊である。環境保全に努めることも、様々な生き物の成長を促すので、それも産霊の概念に入る。ごく日常的に考えれば、料理をすることも産霊に当たる。

そして、創造する作品の品質は問わない。まずは、客観的な基準は存在しないので、評価することは難しい。それをおいても、ここで人の態度や生き方を考えているので、作品の形は重要ではない。重要なのは、ただ消極的に与えられた世界に満足して、のんびりするだけではなく、積極的に何か良いものを生み出して、世界に加えようとする行動である。

もちろん、なるべく巧みにできるようになるのは当然な目標だし、浄明正直の個人的な成長もこれと関わる。自分を選んだ創造の分野を考えて浄明正直の具体的な形も決まるだろう。簡単に現状に満足すべきではない。しかし、人はそれぞれであるし、才能も与えられた環境も材料も違うので、精一杯頑張ったら何を生み出せることも違う。自分なりに、そして最善な自分なりに生み出そうとするのは好ましい。世界がどう評価するのは大したことではない。評価してもらうのは心地よいが必然的ではない。

ここまでの惟神道の要素は、個人を中心とするが、神道の倫理観では個人主義との対立を感じる方は多い。私は対立を必要としないが、個人しか考えない倫理観は確かに神道の伝統を汲まない。次回から、共同体などを掲げる理想について考えたいと思う。


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