共存共栄

「共存共栄」は神社界でよく使われる表現だが、絆をどういう風に実現するかという質問に答えるための示唆になる。

「共存」は、周りの人に迷惑にならないことを示す。これは、暴力や窃盗を禁じる理想である。そのような行動は明らかに周りの人の大迷惑になるからだ。そして、それ以上のことも表す。周りの人の成長や行動の支障にならないように考えることも指す。些細な例を挙げたら、歩行者が道を渡ろうとすれば、周りの自動車を見て、自分の安全だけではなく、自動車の運転も考える。例えば、右折しようとする車にチャンスがあれば、その瞬間に渡ってまた待たせる行動を避ける。地下鉄の中の譲り合いも同じ理想から発生する。周りの人も同じことをしてくれたら良いが、このようなことにいつも気づくことはそもそも難しいし、事情がある場合も少なくないので、このような気遣いはしなかったことで批判すべきではない。それに、誤って批判すれば、それは重大な迷惑になるので、それを避けるためにも批判を避けるべきである。

共存は、一番薄い絆からも発生する。その絆は、この場で接する絆だ。接し方も、インターネット上の間接的な接し方も含まれる。つまり、事実上誰でも対象になる。これほどの絆はない人には迷惑になれないからだ。迷惑をかけるためのつながりがあれば、かけないようにすべきだ。

この理想でも、簡単ではない。人混みの中で周りの人を皆考えるのは難しいし、現在のグローバル社会では、スーパーでの買い物がアフリカに住んでいる人まで影響を及ぼす。迷惑をかけないように努めるだけで、世界についての知識は必要だし、慎重に行動を取らねばならない。

「共栄」は、より身近な絆に当てはまる。共栄は、お互いに目指していることを一緒に果たすことを示す。つまり、一緒に諮って、話し合って、協力して働くことを示す。共栄の「共」の字は重要だから、一人が命令を出すことも、一人の利益になることも指さない。まずは、利益はすべての参加者に及ぶのは重要である。その上、すべての参加者は自分の分に満足することも重要である。給与を与えることだけで、必ずしもこの条件を満たすとは限らない。一方、給与はなくても、満たすこともある。そして、誰でも計画に口を出して、修正などを提案することは重要である。多くの場合舵をとる人はいると思われるが、独裁的なやり方はふさわしくない。目的も方法も皆で決めるのは共栄である。

この共栄で、一人でできない創造や維持を実現することは最適だろう。そのような計画は、人間にとって極めて多いので、共栄を軽視することはできない。

他の理想と同じように、共存共栄の具現化は場合によって大きく異なると思われるが、理想として共通する。


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