感謝は神道の教えでは重要な役割を担う。惟神道では、行動より態度として捉えたい。
心理学の研究の成果からすると、人間にはある強い傾向があるようだ。それは、自分の成功を自分の能力から発生したと思うし、失敗は外の環境のせいとする傾向である。例えば、億万長者は、おお金持ちになった理由は自分の能力と努力であると思い込む傾向は強い。しかし、そうではない。周りの人の支えも重要だし、運も大きく人生を左右するし、そして広く見れば、太陽が光らなかったら、人間は皆おしまいだ。感謝という態度は、他人や環境から頂いた支援を忘れない態度である。
このような態度を保てば、重要な結果が期待される。
一つは、失敗した人への思いやりである。自分の成功には周りの「協力」は必要だったことが念頭に置かれたら、そのようなことに恵まれていない人に対して軽蔑を感じるわけはない。行動に発展すれば、多くの人へ自分を恵んだ環境を普及することはすぐに思い浮かぶ。
もう一つは、世界の肯定的な捉え方を促すことだ。
世界を解釈しなければならない。もちろん、正確な理解は重要であるが、純粋な正確な理解は存在しない。哲学的に考えれば、純粋な正確な理解は存在しえないことがわかる。無理だ。人間の力の限界ではなく、理解の本質から発生する問題だ。だから、解釈に対して、肯定的な理解か否定的な理解かという選択肢がある。
研究によると、否定的な理解であれば、もしかして現実により近くなるかもしれないが、やる気がなくなるし、うつ病とも繋がる。肯定的な理解は、やる気と沸かせるし、現実から程遠いとは言えない。(そして、純粋な正確な理解は存在しないので、現実的な方を判断する基準はちょっと怪しい。)
好ましいことに特に気を向いたら、自発的に気付くことにもなる。自発的に気づけば、世界は良いところであると思ってくる。そう思ったら、さらに活躍したくなるのではないか。そうすれば、良いことがさらに生み出されるので好循環になる。そして、周りの助けになる人やものは忘れないし、周りの人について覚えることは主に良いことになるので、人間関係も良くなるのではないかといえよう。
つまり、自分は完全に独立する個人ではなく、多くの人やものによって支えてきたことを忘れないことで人生を送る。感謝の表し方は人によって違うと思われるが、感じたら完全に封じるはずはない。その表現が他人も幸せにするとも期待できる。しかし、感謝は他人のための態度ではない自分のための態度である。表現する機会や方法を積極的に探らなくても良い。感じたら、自然に溢れ出す。