性的行為の関係で問題になった一点は、裸への態度だと思う。つまり、特に女性は、裸で見られたら被害を受けたと感じる。そして、そう感じるから、本当に被害を受ける。しかし、この被害は社会的に構造された被害に過ぎない。半裸か全裸で生活を送る社会も存在するので、やはりその目線には被害を与える力は潜めていない。そして、この態度はただ脆弱を作り出すに過ぎない。この態度のために、裸で火事や地震から逃げたくない人は少なくないし、東京都の災害ガイドでは、避難所では女性のための更衣室を確保する重要性を指摘するが、物理的に無理である場合、ただ負担となる。
その上、前にも述べたと思うが、法律上裸を禁止する根拠はない。周りの人には嫌な思いを与えるとしても、それは人の行動を法律で制限する理由にならない。
では、いつも裸でいると良いわけ?そうでもない。
自分の色欲の対象となる人の裸を見れば、本能的な反応がある。「普通だったら慣れる」と言われることもあるが、私はそれを信じない。生まれてからミニスカートとビキニは存在してきたが、まだ慣れていない。アイドル写真集が売られ続けることから、この状態は一般的であると推測する。そして、色欲の反応のほとんどと同じく、この反応は意思を乱す。嫌な気分にはならないかもしれないが、他のことに集中することは難しくなる。例えば、裸な女性に教えることは難しいと思う。確かに大きな乱れではないので、法律で制限するほどではないと言う。しかし、惟神道の倫理で、周りの人に不要な迷惑をかけないので、原則として裸を見せないし、普通の服を着る。
つまり、理想的な社会は、人は裸で見られても平気である性格で、普段は刺激にならない服を着る状態である。
(ところで、女子高生の長短スカートには倫理的な問題があると言える。周りの男子高生の勉強の邪魔になることだ。わざと周りの人の勉強の妨げになるべきではないので、倫理問題になる。男子の服装がどうやって問題になるのか、よく分からない。女子高生にいたことはないからだ。)
では、普通に刺激を与えない服を着る部分は問題ないが、見られても平気は現状から程遠い。どうすれば実現できるのだろう。
まず、見られても被害ではないことを強調する。それは重要である。しかし、言葉だけであれば、心で感じない。実践的な方針は必要である。
すぐに思い浮かぶことは、更衣室を男女共用とすることだ。実は、同性愛者の存在を認めたら、男女別の更衣室には合理的な意味は全くない。お互いに見られれば、相手が自分いたして色欲を感じる可能性はある。完全に個室にすれば、男女別にする必要はまずない。一室には一人がいるからだ。しかし、見られても平気にさせるために、個室ではない更衣室にしなければならない。そして、日本の文化を考えれば、混浴の温泉や銭湯を普及させるのも良い。お湯に入ったら、あまり見えないので、問題になる刺激は少ないが、見られることに慣れる。同じように、温水プールでの水泳を原則として裸とすれば、慣れてくる。(その場合、救助員は普段プール側に立つので、水着を着るべきだ。)現在の社会からこの状況になるために、学校から導入するべきだ。子供の頃からこれは普通であることを経験する人は、抵抗感を感じないからだ。
このような社会になったら、一つの脆弱がなくなると思われる。しかし、裸に対するの興味はなくならない。だから、アイドル写真集の販売はまだ盛んに行われるだろう。それは、どう考えるべきなのだろうか。